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![]() | 易―中国古典選〈10〉 (朝日選書) (1997/02) 本田 済 商品詳細を見る |
占いの活用は少し考えなければいけない問題です。
大きく分けると二つ問題があります。一つは、私も十代のころ経験があるのですが、占いを信じることで自分を自分で縛ってしまいがんじがらめで動けなくなってしまう事です。なんでも占いに頼り、自分の意志を放棄してしまい悩める子羊に身を落としてしまう。
もう一つは出口のない問題にしがみつきたいがために、自分の執着を肯定して欲しい人。問題の解決を願っていない人です。後者は時間しか解決を与えてくれませんが、前者は本人次第でいくらでも解決に向かうことは出来ます。良い占い師さんと出会えれば、自分の足が見え、生きる方向が見えてきます。けれども占い師などは嫌いだと言う方には易経を読む事をお勧めします。東洋思想は易に始まり易に終わると言われていますが。占いもまたしかりです。
易経は君子の道を説くものとされ、科挙の科目にもなっていますが、内容を確り読めば、それぞれの状況の時、その状況にどのように対処し、どう進めばいいのかを具体的に的確に教えてくれる書物です。物事をクリアーするためには常に条件がつく事が教えられています。ただ吉凶が示されるだけでなく、その理由もそこには書かれています。
色々な訳がでていますが、一般書としては朝日選書の本田濟先生著「易」または岩波書店の「易経」(ワイド版の方が読みやすいです)がおすすめです
自分と向き合う事
良い雰囲気をつくるための最初の一歩は自分と向き合う事ですが
これは苦しい作業です
わかっているけど出来ない。やめられない。やめられない。欲しい。
やる気が起きない。誘惑に負けてしまう。余計な事を言ってしまう。憎い
逃げたい、責任なんて嫌だ、我慢できない。同じ事の繰り返し。
そんな自分を見たくないのは自然です。
でも、これは過去の自分です。
過去を取り返そうとしたり、過去の出来事に執着すると、いつまでもついてきます
日記帳で言えば、昨日までは真っ黒でも
今日と明日からの未来のページは真っ白です
今日のページで、昨日のおさらいをするから、いつまでも昨日と同じことになります
過去を過去として認め、自分はその時はその時で必死に生きた、
その自分を「頑張ったね」と受け入れてあげる事で、過去は解放されます
誰かに受け入れて欲しいと言う人は、大抵、自分自身では自分を受け入れられず、誰かに受け入れられることで自分を承認しようとしています 自分が受け入れられないものを他人が受け入れてくれるかは疑問です
また誰かのせいにしてしまう人生の繰り返しです。自分を承認する事は、自分の人生に自分で責任を持つと言う事です。
過去の自分を自分で認め、受け入れる事が出来ないのは、一つには過去が強烈すぎて、未来を見る事を忘れてしまっていることが大きな原因です。繰り返し襲う過去の記憶。これを癒すには信頼のおける安全の地を探し、時間をかけて傷を治す事です。傷をつけた人間が目の前で潰されても、傷は癒えません。過去には戻れないからです。人を信頼する力を回復する事ができれば、また人を愛すことも出来るようになります。
過去の自分と今の自分を区別することです。
過去の自分に手紙を書き、それを燃やす、髪を切る、指輪をはずす、小物をかえる、靴を変える、等々、
今と未来を区別する儀式をして、そして、自分にささやいて下さい。
「今から私は新しい私。」
自分と向き合う事が出来たら、次は「じゃ、これからどうする?」ですね。
これは苦しい作業です
わかっているけど出来ない。やめられない。やめられない。欲しい。
やる気が起きない。誘惑に負けてしまう。余計な事を言ってしまう。憎い
逃げたい、責任なんて嫌だ、我慢できない。同じ事の繰り返し。
そんな自分を見たくないのは自然です。
でも、これは過去の自分です。
過去を取り返そうとしたり、過去の出来事に執着すると、いつまでもついてきます
日記帳で言えば、昨日までは真っ黒でも
今日と明日からの未来のページは真っ白です
今日のページで、昨日のおさらいをするから、いつまでも昨日と同じことになります
過去を過去として認め、自分はその時はその時で必死に生きた、
その自分を「頑張ったね」と受け入れてあげる事で、過去は解放されます
誰かに受け入れて欲しいと言う人は、大抵、自分自身では自分を受け入れられず、誰かに受け入れられることで自分を承認しようとしています 自分が受け入れられないものを他人が受け入れてくれるかは疑問です
また誰かのせいにしてしまう人生の繰り返しです。自分を承認する事は、自分の人生に自分で責任を持つと言う事です。
過去の自分を自分で認め、受け入れる事が出来ないのは、一つには過去が強烈すぎて、未来を見る事を忘れてしまっていることが大きな原因です。繰り返し襲う過去の記憶。これを癒すには信頼のおける安全の地を探し、時間をかけて傷を治す事です。傷をつけた人間が目の前で潰されても、傷は癒えません。過去には戻れないからです。人を信頼する力を回復する事ができれば、また人を愛すことも出来るようになります。
過去の自分と今の自分を区別することです。
過去の自分に手紙を書き、それを燃やす、髪を切る、指輪をはずす、小物をかえる、靴を変える、等々、
今と未来を区別する儀式をして、そして、自分にささやいて下さい。
「今から私は新しい私。」
自分と向き合う事が出来たら、次は「じゃ、これからどうする?」ですね。
運勢を変えるためには
なぜ運勢が変えられないのでしょうか。心の底から幸せになる事を望んでも、幸せになることと真逆な事していたら運勢は変わりません。たとえば、付き合って欲しい一心で、素敵な女性を演じてきて、恋人になった途端、あらいざらいの自分をさらけ出し、あまえて、我が儘を言って、無理な事を言って、相手の自分への愛情を試したり、相手の気を引くために、他の相手に気のあるふりをして、嫉妬させてみたり、自分ではけっこう可愛いと思いながらやっている人がいますが、ダメです。
自分に正直に生きる事と他人と共に生きる事は相反する事ではありません。他人を愛するからこそ変われる自分がいる。そんなこと知っている、と大抵の方は言うのですが、知っていると言いながら流す涙の量はハンパではありません。
持って生まれたものだから性格と言うのですが、自分の嫌な性格を直そうとすると嫌な所が必ず抵抗してきます。どうすれば良いかと言うと、何でもいい、自分の好きなものを書き出して下さい。書き出せたら優先順位をつけて、その事に一生懸命になる事です。一生懸命になる事が出来たら、それを自分へのご褒美として、それぞれの課題にチャレンジして下さい。例えばコミュニケーションがとれていなかった上司と会話する、できたら、好きな歌手のコンサートに行く等々。自分で自分をつり上げることが楽しくなるし、達成感が生じてきます。この事の繰り返しが生き甲斐に繋がります。ここまで来ると運が良いの悪いのは気にならなくなってきます。季節が巡るように、人の環境は明るくなったり、暗く冷たくなったり、太陽に焼かれたりするものです。「生き甲斐」は身体の免疫力のようなもので、これがしっかりしていれば、人生は揺るぎません。困難を乗り越えるための努力に足りる、それぞれの生き甲斐を見つけて下さい。
自分に正直に生きる事と他人と共に生きる事は相反する事ではありません。他人を愛するからこそ変われる自分がいる。そんなこと知っている、と大抵の方は言うのですが、知っていると言いながら流す涙の量はハンパではありません。
持って生まれたものだから性格と言うのですが、自分の嫌な性格を直そうとすると嫌な所が必ず抵抗してきます。どうすれば良いかと言うと、何でもいい、自分の好きなものを書き出して下さい。書き出せたら優先順位をつけて、その事に一生懸命になる事です。一生懸命になる事が出来たら、それを自分へのご褒美として、それぞれの課題にチャレンジして下さい。例えばコミュニケーションがとれていなかった上司と会話する、できたら、好きな歌手のコンサートに行く等々。自分で自分をつり上げることが楽しくなるし、達成感が生じてきます。この事の繰り返しが生き甲斐に繋がります。ここまで来ると運が良いの悪いのは気にならなくなってきます。季節が巡るように、人の環境は明るくなったり、暗く冷たくなったり、太陽に焼かれたりするものです。「生き甲斐」は身体の免疫力のようなもので、これがしっかりしていれば、人生は揺るぎません。困難を乗り越えるための努力に足りる、それぞれの生き甲斐を見つけて下さい。
障害の乗り越え方
恋愛でも仕事でも障害はつきものですが、そんなとき、運が良い人は結構普通に的確なアドバイスをもらいそれなりの努力はともないますが、奇麗に障害を抜けています。そうでない人は、極端な言い方ですが障害が起きると、何やら自分が真冬のアイガーの北壁にへばりついているような危機感の苛まれ、悲鳴をあげんばかりになってしまいます。起きていることにがんじがらめになり、自分で自分を縛る人。ヤケを起こしてそこから飛び降りてしまう人。もっと悪いのは最悪のルートへアドバイスする人に頼ってしまうことです。こんな時は先ず、起きていることを客観的に見ることです。
客観的に、自分と起きている事柄を冷静に見ることができるようになると、色々な事柄が見えてきます。ここで、注意しなければならないのは「誰かのせいだ」としてしまうことです。これは厳しいですね。一生これの繰り返しになります。冷静には物事を見られない証拠です。もう一度自分を見つめ直して下さい。
物事が起きるとき、そこには必ず「原因=種」があり、「原因が大きく育つ=時間の経過」と「現実化=結果」してきます。良いことも悪いことも同じです。
この理屈がわかれば、障害を乗り越える最善の方法は、「障害を起こさないこと」ではないでしょうか?これは「戦わずして勝つ」と言う武道の極意とも共通することです。
原因を見つけ、それが大きく育たないように注意していくこと。相手から求められるであろう能力を準備し、備えておくことです。そのためには人間関係を大事にしコミュニケーションを積極的にとることが、やはり必要です。そのためには、相手を尊重すること、見下さないこと、すがらないこと、やられてもやり返さないことが基本です。これが苦手だと言う人も多いですが、これは基本です。
自分を客観的に見るための補助としていくつか典型的なパターンを挙げておきます。
1、自己中心型 2、依存型 3、常識型
このパターンは男女関係なく、その人の心の底の底にある声です。本人も気づいていない場合があります。
1、自己中心型
ブレーキの付いていない大型バイクのような人です。好きと嫌いで物事を判断する所があり、欲望に忠実で、求めるものが得られないと暴れます。欲しい者は手に入れる。他人の気持ちも自分の思い通りにしたい。基本的に他人のアドバイスは自分に都合が良いことしか聞こえない。心の底では自分が一番正しく地球は自分が中心で回っていると思っています。潜在的な暴君と女王様。エゴイストです。
トラブルのほとんどは自分で掘って自分から落ちていきます。勢いのあるうちは、他人を蹴散らしてグイグイいけるのですが、勢いが無くなると、蹴散らされた人達の念が、やられたツケを取り返しにきます。言い方を変えると、勢いが無くなり、恨みの念を防御できなくなると言うことです。晩年までもてば孤独です。
自分に直面することを一番嫌う人達です。それゆえ一番大事な得たものを失うことにより気づかされることが多いのですが、その時でさえ、自分は悪くないと思い込みたい所があります。ちゃんとした反省ができないから同じ過ちを繰り返す。
自分を客観的に見つめ直すために手紙を書くことを勧めているのですが、「見下しやがって」と言って、それさえ拒否し怒りだす人も、たまにいます。そのくらいこのパターンの人は苦しい人が多い。
しかし、もともと自力のある人が多いので、心の底から「ありがとうございました」と他人に感謝することと、「本当にごめんなさい、すみませんでした。」と頭を下げることができれば、環境は一変します。
これは心の底にある人の剥き出しの本音です。このエゴのぶつかり合いが戦争を引き起こしてきました。このことに気づいていた先人達は「教育」によりこの人格を陶冶し社会性、倫理、ルールを作り、平和な世界を目指してきました。個人もまた親の教育、学校や様々な形での社会参加で、ルールは守らなければならないと教え込まれているので、エゴの出方に個人差があります。それゆえ、エゴの種が育つ前に、他人のことも、ちゃんと考えられる癖を身につけさせれば、ものすごく素敵な社会人になれます。
客観的に、自分と起きている事柄を冷静に見ることができるようになると、色々な事柄が見えてきます。ここで、注意しなければならないのは「誰かのせいだ」としてしまうことです。これは厳しいですね。一生これの繰り返しになります。冷静には物事を見られない証拠です。もう一度自分を見つめ直して下さい。
物事が起きるとき、そこには必ず「原因=種」があり、「原因が大きく育つ=時間の経過」と「現実化=結果」してきます。良いことも悪いことも同じです。
この理屈がわかれば、障害を乗り越える最善の方法は、「障害を起こさないこと」ではないでしょうか?これは「戦わずして勝つ」と言う武道の極意とも共通することです。
原因を見つけ、それが大きく育たないように注意していくこと。相手から求められるであろう能力を準備し、備えておくことです。そのためには人間関係を大事にしコミュニケーションを積極的にとることが、やはり必要です。そのためには、相手を尊重すること、見下さないこと、すがらないこと、やられてもやり返さないことが基本です。これが苦手だと言う人も多いですが、これは基本です。
自分を客観的に見るための補助としていくつか典型的なパターンを挙げておきます。
1、自己中心型 2、依存型 3、常識型
このパターンは男女関係なく、その人の心の底の底にある声です。本人も気づいていない場合があります。
1、自己中心型
ブレーキの付いていない大型バイクのような人です。好きと嫌いで物事を判断する所があり、欲望に忠実で、求めるものが得られないと暴れます。欲しい者は手に入れる。他人の気持ちも自分の思い通りにしたい。基本的に他人のアドバイスは自分に都合が良いことしか聞こえない。心の底では自分が一番正しく地球は自分が中心で回っていると思っています。潜在的な暴君と女王様。エゴイストです。
トラブルのほとんどは自分で掘って自分から落ちていきます。勢いのあるうちは、他人を蹴散らしてグイグイいけるのですが、勢いが無くなると、蹴散らされた人達の念が、やられたツケを取り返しにきます。言い方を変えると、勢いが無くなり、恨みの念を防御できなくなると言うことです。晩年までもてば孤独です。
自分に直面することを一番嫌う人達です。それゆえ一番大事な得たものを失うことにより気づかされることが多いのですが、その時でさえ、自分は悪くないと思い込みたい所があります。ちゃんとした反省ができないから同じ過ちを繰り返す。
自分を客観的に見つめ直すために手紙を書くことを勧めているのですが、「見下しやがって」と言って、それさえ拒否し怒りだす人も、たまにいます。そのくらいこのパターンの人は苦しい人が多い。
しかし、もともと自力のある人が多いので、心の底から「ありがとうございました」と他人に感謝することと、「本当にごめんなさい、すみませんでした。」と頭を下げることができれば、環境は一変します。
これは心の底にある人の剥き出しの本音です。このエゴのぶつかり合いが戦争を引き起こしてきました。このことに気づいていた先人達は「教育」によりこの人格を陶冶し社会性、倫理、ルールを作り、平和な世界を目指してきました。個人もまた親の教育、学校や様々な形での社会参加で、ルールは守らなければならないと教え込まれているので、エゴの出方に個人差があります。それゆえ、エゴの種が育つ前に、他人のことも、ちゃんと考えられる癖を身につけさせれば、ものすごく素敵な社会人になれます。
不器用なひとへ
恋愛にしても人付き合いにしても、不器用な人がいますね。
かんしゃく玉のような人です。
最初のうちは、
そのくらいのことで怒るなよと言ってくれる人がいるので、
なんとか寂しい思いをしないですみますが、
そのうち回りの人もどう扱っていいのか解らなくなり、
孤独になります。
癇癪を起こす原因を探ってみると、
大抵、ほんの些細な冗談が、
自分の知っている事実と違うと言うだけで義憤を起こしてみたり、
軽い冗談をまるで自分の存在を否定されたようにとってしまい、
手が付けられなくなります。
しかし、それを言った相手の本心は、実は、
ただ、冗談を軽く受け流し、
その人の笑顔が見たいだけの場合が実に多いのです。
相手にとってはコミュニケーションのための会話が、
なにやら、取り返しがつかない地雷原に彷徨うことになってしまう。
人が寄り付かなくなります。
人の交流は基本的に相性(運勢による嗜好)による
化学反応のようなものです。
ですから普段から自分の傾向を自覚していないと
勝手に嗜好通りの反応が起きます。後悔先に立たずですね。
自分が不器用だと感じている人は、
先ず自分が何に反応しているのか?
そして相手の真意はどこにあるのかを検討して下さい。
また自分には疑心暗鬼の傾向があると思う人は、
とにかく何があっても揺らがないだけの自信を身につけることです。
諦めたら、そこまでと言うのが人生です
運勢は味方することを放棄します。
傷を負うものは、
傷に塩を塗り込むようなことさえしなければ、
時間が必ず癒してくれます。
自分を知ること。自分を余計に傷つけないこと。
そして、少しずつ自分のペースで進むことです。
運勢を別の言葉で表すのなら、
それは「他人の自分に対する好意、協力」となります。
大事なことです。考えてみて下さい。
かんしゃく玉のような人です。
最初のうちは、
そのくらいのことで怒るなよと言ってくれる人がいるので、
なんとか寂しい思いをしないですみますが、
そのうち回りの人もどう扱っていいのか解らなくなり、
孤独になります。
癇癪を起こす原因を探ってみると、
大抵、ほんの些細な冗談が、
自分の知っている事実と違うと言うだけで義憤を起こしてみたり、
軽い冗談をまるで自分の存在を否定されたようにとってしまい、
手が付けられなくなります。
しかし、それを言った相手の本心は、実は、
ただ、冗談を軽く受け流し、
その人の笑顔が見たいだけの場合が実に多いのです。
相手にとってはコミュニケーションのための会話が、
なにやら、取り返しがつかない地雷原に彷徨うことになってしまう。
人が寄り付かなくなります。
人の交流は基本的に相性(運勢による嗜好)による
化学反応のようなものです。
ですから普段から自分の傾向を自覚していないと
勝手に嗜好通りの反応が起きます。後悔先に立たずですね。
自分が不器用だと感じている人は、
先ず自分が何に反応しているのか?
そして相手の真意はどこにあるのかを検討して下さい。
また自分には疑心暗鬼の傾向があると思う人は、
とにかく何があっても揺らがないだけの自信を身につけることです。
諦めたら、そこまでと言うのが人生です
運勢は味方することを放棄します。
傷を負うものは、
傷に塩を塗り込むようなことさえしなければ、
時間が必ず癒してくれます。
自分を知ること。自分を余計に傷つけないこと。
そして、少しずつ自分のペースで進むことです。
運勢を別の言葉で表すのなら、
それは「他人の自分に対する好意、協力」となります。
大事なことです。考えてみて下さい。
意訳 自我偈
自我偈の意味を解りやすく知りたいと言うかたがありましたので私の解釈する自我偈の意訳を載せます。
文責は全て私にあり、研究者のかたのそれとは違う解釈もあります。願わくばこの意訳が多くの生者および、亡き人々の迷える魂に響き、苦海から逃れる切っ掛けが出来ますよう心から祈願しここに公開いたします。
意訳 自我偈
われわれ仏の悟りを得た行者が仏陀として教えを説き始めてから、
数限りない年月が流れた。
その間、数えきれない程の人々が教えを受け、仏となる道に導かれた。
今生に生まれた者には必ず死が訪れるように、私の肉体も滅びる。
これは誰もが否定し得ないこの世の法則である
しかし、仏としての存在は肉体を超えた形で存在し続け
常に求める人々に教えを説いている
特別な霊眼のある者にはその姿が見えるが
煩悩の濁塵(だくじん)に汚れた目の者には見ることができない
人々は私の死に出会い、私の残した骨や衣鉢を懐かしみ塔を作り供養する
人々の信仰心と信仰による行いが熟し、
心から私の姿を見ることを望むのならば、
霊鷲山で法を説いた時のように弟子とともに必ず姿を現そう。
仏に信を起こす者よ
仏は不滅であるがこの肉体は滅する物である、
しかし肉体が滅しても、仏は存在し続け、信を起こす者には、
住む場所を問わず、常に正しい教えを説きつづけている
このことを知らぬ衆生は、救いの方法がないと思い込み、
いまも輪廻の迷いの海に苦しんでいる
それゆえ、私は軽々しく姿を現さず、
人々がこの苦海に追われ、ここから逃れるため、
必死に仏を求めたとき、その真心に応じて姿を現し教えを説こうと思う
仏の力はこのように永遠で、必死に、真心から
輪廻の轍(わだち)から解き放たれるための、
仏陀になるために教えを求める者の前には、必ず姿をあらわす。
人類の業が尽きた時、人々が培(つちか)った
あらゆる文明が火に焼かれ崩壊しようとも
仏国土と言われる仏の世界は常住で安定し満足し、欠けるものがない
煩悩に迷える者はこのとき業火に焼かれ、苦しみの絶頂に会う、
この世が苦海であることを悟らず、楽しみ味わう者は、
この業の報いにより、何世にも渡って
仏になる教えとの縁が生じ難い。
発心をし、菩薩の誓願をたて、善行をなし、
心素直に仏の教えに耳を傾け、実践する者がいれば、
そこに、仏である私がいる
このような修行が結実し始めている者には仏の命は永遠だと説き、
信ずることすらグラツイている、いまだ修行の及ばない者には
仏には会い難いと説く
仏の知恵はこのように無限、無量でその寿命も尽きることがない
そして、この知恵は長い時間をかけた修行の結果得たもので、
私が特別だったから得られたものではない
知恵ある者よ ここで疑念を起こしてはいけない。
疑念は何度も起きて来るがその度に信のこころをもって疑念を晴らしなさい
仏の言葉は常に良く考えられ、必ず必要な結果が生じる
医者が狂った息子を治すために、方便を使い、
死んでもいない自分が死んだと息子に言い、彼を正気付かせ、薬を飲ませ、
治癒させたという話のごとく
仏もその医者と同じように方便を使って、生きとし生ける
あらゆる生きるものを救おうとする者である
普通の人々は、今しか救われる機会はないと言わなければ、
真剣に教えを聞こうとしない。
それゆえ、仏は普遍の存在だと言ったり、衆生と同じ人としての肉体を持っている
今しか救われる機会はないと言ったりするのである。
どんな時でも仏は救ってくれるんだと知ったとき、残念なことだが、
人は安心してしまい、よっぽど差し迫った苦しみが襲ってくるまでは、
此の世の楽しみを謳歌しようとし、仏法に見向きもしない
それゆえ、私は人々のそれぞれの機会(苦)に応じて法を説き
常に、それぞれにとって、この輪廻の苦しみから脱するための最善の方法は何か
どうすれば救済できるかを常に念じている。
以上
できるならば、音読して下さい。
それにより苦しみの原因である執着が、自分からも、敵からも消え、
それぞれに、生きとし生きるものを慈(いつく)しみ、どんな人でも、
「人として成長できるんだ、仏と言われるような完成した人格になれるんだ。」
という希望が魂の底から湧(わ)き上がってくることを、
こころより祈念いたします。
今野喜心
文責は全て私にあり、研究者のかたのそれとは違う解釈もあります。願わくばこの意訳が多くの生者および、亡き人々の迷える魂に響き、苦海から逃れる切っ掛けが出来ますよう心から祈願しここに公開いたします。
意訳 自我偈
われわれ仏の悟りを得た行者が仏陀として教えを説き始めてから、
数限りない年月が流れた。
その間、数えきれない程の人々が教えを受け、仏となる道に導かれた。
今生に生まれた者には必ず死が訪れるように、私の肉体も滅びる。
これは誰もが否定し得ないこの世の法則である
しかし、仏としての存在は肉体を超えた形で存在し続け
常に求める人々に教えを説いている
特別な霊眼のある者にはその姿が見えるが
煩悩の濁塵(だくじん)に汚れた目の者には見ることができない
人々は私の死に出会い、私の残した骨や衣鉢を懐かしみ塔を作り供養する
人々の信仰心と信仰による行いが熟し、
心から私の姿を見ることを望むのならば、
霊鷲山で法を説いた時のように弟子とともに必ず姿を現そう。
仏に信を起こす者よ
仏は不滅であるがこの肉体は滅する物である、
しかし肉体が滅しても、仏は存在し続け、信を起こす者には、
住む場所を問わず、常に正しい教えを説きつづけている
このことを知らぬ衆生は、救いの方法がないと思い込み、
いまも輪廻の迷いの海に苦しんでいる
それゆえ、私は軽々しく姿を現さず、
人々がこの苦海に追われ、ここから逃れるため、
必死に仏を求めたとき、その真心に応じて姿を現し教えを説こうと思う
仏の力はこのように永遠で、必死に、真心から
輪廻の轍(わだち)から解き放たれるための、
仏陀になるために教えを求める者の前には、必ず姿をあらわす。
人類の業が尽きた時、人々が培(つちか)った
あらゆる文明が火に焼かれ崩壊しようとも
仏国土と言われる仏の世界は常住で安定し満足し、欠けるものがない
煩悩に迷える者はこのとき業火に焼かれ、苦しみの絶頂に会う、
この世が苦海であることを悟らず、楽しみ味わう者は、
この業の報いにより、何世にも渡って
仏になる教えとの縁が生じ難い。
発心をし、菩薩の誓願をたて、善行をなし、
心素直に仏の教えに耳を傾け、実践する者がいれば、
そこに、仏である私がいる
このような修行が結実し始めている者には仏の命は永遠だと説き、
信ずることすらグラツイている、いまだ修行の及ばない者には
仏には会い難いと説く
仏の知恵はこのように無限、無量でその寿命も尽きることがない
そして、この知恵は長い時間をかけた修行の結果得たもので、
私が特別だったから得られたものではない
知恵ある者よ ここで疑念を起こしてはいけない。
疑念は何度も起きて来るがその度に信のこころをもって疑念を晴らしなさい
仏の言葉は常に良く考えられ、必ず必要な結果が生じる
医者が狂った息子を治すために、方便を使い、
死んでもいない自分が死んだと息子に言い、彼を正気付かせ、薬を飲ませ、
治癒させたという話のごとく
仏もその医者と同じように方便を使って、生きとし生ける
あらゆる生きるものを救おうとする者である
普通の人々は、今しか救われる機会はないと言わなければ、
真剣に教えを聞こうとしない。
それゆえ、仏は普遍の存在だと言ったり、衆生と同じ人としての肉体を持っている
今しか救われる機会はないと言ったりするのである。
どんな時でも仏は救ってくれるんだと知ったとき、残念なことだが、
人は安心してしまい、よっぽど差し迫った苦しみが襲ってくるまでは、
此の世の楽しみを謳歌しようとし、仏法に見向きもしない
それゆえ、私は人々のそれぞれの機会(苦)に応じて法を説き
常に、それぞれにとって、この輪廻の苦しみから脱するための最善の方法は何か
どうすれば救済できるかを常に念じている。
以上
できるならば、音読して下さい。
それにより苦しみの原因である執着が、自分からも、敵からも消え、
それぞれに、生きとし生きるものを慈(いつく)しみ、どんな人でも、
「人として成長できるんだ、仏と言われるような完成した人格になれるんだ。」
という希望が魂の底から湧(わ)き上がってくることを、
こころより祈念いたします。
今野喜心
人として、いのちの尊さ
ここ数日「自分には価値がない、生きていてもしょうがない...。」という相談を
続けて受けています。苦しいですね。
共通して言えるのは疎外感と自責の念です。
そして、いつの間にか、他人から見られている自分が本当の自分のように
錯覚してしまっていることです。
本当の自分が見えなくなっている。
夢もあり、したいことは、多くはないけれど、ちゃんとあったのに、
いつのまにか諦めて、その場にうずくまっている。
自分の本音を誰にもはなせないし、
他人にはこの苦しさが解る訳がないと決めつけてしまっている。
心の毒を抜くには一つには汗をかくこと、岩盤浴でも風呂でも、
デトックスと言われるものに騙されたとおもって行って下さい。
心と身体はリンクしています。
もう一つは、あなたのことを決して否定しない人に
心の底をぶちまけることです、我々のようなプロにもピンキリがありますから、
信用できそうな先生を選んで相談して下さい。
また、「日本いのちの電話連盟」がほとんどの都道府県にあります。
どうしようもなく行き詰まった時は検索して下さい。
いのちの電話
いのちの尊さって何でしょうか?
易の考え方の中に、天人合一と言う考え方があります。
これは宇宙と生きとし生きる物は同一で、
人は宇宙の相似形であるという考えです。
自然に春夏秋冬があるように、人にも四季があり、
ゆずり葉が命を次の葉に託すように、人は子供に命を託し、
四季のリズムの中に生まれ、育ち、老い、死期を迎える。この繰り返しです。
我々の命も、見たことも聞いたこともないような人達から託されて、
ここにある。それに気づかないだけで決して独りぼっちではない。
昔、金魚鉢の金魚は金魚鉢の中だけが全てで
喜怒哀楽すべてが金魚鉢の中で起きていると言っていた人がいました。
その通りなのですが、でも、他のうつわで生きることは可能なのです。
もっと広い、快適な場所でも生きられるのです。
そして金魚には自分の居場所を変える自由はないが、
人間にはこの自由があるのです。
だから人の命は尊いのです。しかし人は弱って来ると、
この自由を使うことを放棄し始めます。
そのくらい自由であることを生かすにはエネルギーが必要で、
このことを知らないから個々の持って生まれた運勢に
そのまま支配されてしまいやすい。
そして、この人に与えられた自由をどう使うかが、
人としてこの世に生まれた大きな課題の一つなのです。
生きることを自ら放棄すれば、
さらに苦しい所から同じことを課題として生まれてきます。
人は生まれるとき、ほとんどの人が過去の記憶をなくして生まれてきます。
それゆえ、なんでこんなに自分は苦しまなければならないの?と問い続けますが、
前世療法や退行催眠で記憶が蘇り納得したと言う話が出版されていますね。
因果の法則からは逃げようがなく、善用すればこれほど確かなことはありません。
積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。
(善を積んだ家には必ず喜びごとがあり、不善を積んだ家には必ず報いがある)
易経にある言葉です。
価値のない人なんて世の中にはいません。
そこに存在するだけで人には価値があります。
人によっては、自由の扉は重く、動くまで沢山の労力が必要かもしれません。
でも先ず、うずくまっている所から顔をあげ怖くても前を見、
ゆっくり立ち上がる所から初めて下さい。
続けて受けています。苦しいですね。
共通して言えるのは疎外感と自責の念です。
そして、いつの間にか、他人から見られている自分が本当の自分のように
錯覚してしまっていることです。
本当の自分が見えなくなっている。
夢もあり、したいことは、多くはないけれど、ちゃんとあったのに、
いつのまにか諦めて、その場にうずくまっている。
自分の本音を誰にもはなせないし、
他人にはこの苦しさが解る訳がないと決めつけてしまっている。
心の毒を抜くには一つには汗をかくこと、岩盤浴でも風呂でも、
デトックスと言われるものに騙されたとおもって行って下さい。
心と身体はリンクしています。
もう一つは、あなたのことを決して否定しない人に
心の底をぶちまけることです、我々のようなプロにもピンキリがありますから、
信用できそうな先生を選んで相談して下さい。
また、「日本いのちの電話連盟」がほとんどの都道府県にあります。
どうしようもなく行き詰まった時は検索して下さい。
いのちの電話
いのちの尊さって何でしょうか?
易の考え方の中に、天人合一と言う考え方があります。
これは宇宙と生きとし生きる物は同一で、
人は宇宙の相似形であるという考えです。
自然に春夏秋冬があるように、人にも四季があり、
ゆずり葉が命を次の葉に託すように、人は子供に命を託し、
四季のリズムの中に生まれ、育ち、老い、死期を迎える。この繰り返しです。
我々の命も、見たことも聞いたこともないような人達から託されて、
ここにある。それに気づかないだけで決して独りぼっちではない。
昔、金魚鉢の金魚は金魚鉢の中だけが全てで
喜怒哀楽すべてが金魚鉢の中で起きていると言っていた人がいました。
その通りなのですが、でも、他のうつわで生きることは可能なのです。
もっと広い、快適な場所でも生きられるのです。
そして金魚には自分の居場所を変える自由はないが、
人間にはこの自由があるのです。
だから人の命は尊いのです。しかし人は弱って来ると、
この自由を使うことを放棄し始めます。
そのくらい自由であることを生かすにはエネルギーが必要で、
このことを知らないから個々の持って生まれた運勢に
そのまま支配されてしまいやすい。
そして、この人に与えられた自由をどう使うかが、
人としてこの世に生まれた大きな課題の一つなのです。
生きることを自ら放棄すれば、
さらに苦しい所から同じことを課題として生まれてきます。
人は生まれるとき、ほとんどの人が過去の記憶をなくして生まれてきます。
それゆえ、なんでこんなに自分は苦しまなければならないの?と問い続けますが、
前世療法や退行催眠で記憶が蘇り納得したと言う話が出版されていますね。
因果の法則からは逃げようがなく、善用すればこれほど確かなことはありません。
積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。
(善を積んだ家には必ず喜びごとがあり、不善を積んだ家には必ず報いがある)
易経にある言葉です。
価値のない人なんて世の中にはいません。
そこに存在するだけで人には価値があります。
人によっては、自由の扉は重く、動くまで沢山の労力が必要かもしれません。
でも先ず、うずくまっている所から顔をあげ怖くても前を見、
ゆっくり立ち上がる所から初めて下さい。
幸せの定義
幸せな人生の定義ってなんでしょうか?
人それぞれですが、私は、生まれ持った運勢がどうであれ
その人が誰か(何か)のために、見返りを気にせずに、大事にしたい。
そうゆう気持ちを、いつも持ち続けられることが幸せな人生だと思います。
その対象は友達、恋人、家族、仕事、職場、趣味、なんであれ、
心が、そのもの(ひと)のために優しくなり、
そこにいることが充実しているような、
込み上げて来る感情を起こす何か(誰か)と出会えることが、
人生における幸福なのだと思います。
「なにかに捧げる愛」「無償の愛」だと言ってもいいかもしれません。
でも、この感情は物ではなく心をよりどころとしているので、
コロコロとめまぐるしく変わっていきます。
そのうち、どこに行ったのか解らなくなり、
なくしたのは自分のせいじゃない、誰かが悪い...。をやり始めます。
これをさせるのが運勢です。運の弱い人、強い人はなんでも他人のせいにし、
運の良い人は、全ては自分の責任として、保ち続ける努力をします。
これが運勢の違いです。どうでしょうか。
こうして見ると、幸せは常に自分のすぐ側にあり、
また、なんて脆(もろ)いものなのか。
このことに気づかないと、いつのまにか大事なものを無くしてしまいす。
逆に、このことに気づけば、満たされた人生を、生きることが出来ます。
与えられることよりも、与えることの価値。それを続けることの難しさ。
そして、与え続ける覚悟。難しいことですが、
人として生まれた一番の課題なのかもしれません。
ならば、覚悟を決めて、他人から見れば小さな幸せかもしれませんが、
そんなことは意に介さず、自分の人生を生きること。
これこそが、幸福の定義なのではないでしょうか。
人それぞれですが、私は、生まれ持った運勢がどうであれ
その人が誰か(何か)のために、見返りを気にせずに、大事にしたい。
そうゆう気持ちを、いつも持ち続けられることが幸せな人生だと思います。
その対象は友達、恋人、家族、仕事、職場、趣味、なんであれ、
心が、そのもの(ひと)のために優しくなり、
そこにいることが充実しているような、
込み上げて来る感情を起こす何か(誰か)と出会えることが、
人生における幸福なのだと思います。
「なにかに捧げる愛」「無償の愛」だと言ってもいいかもしれません。
でも、この感情は物ではなく心をよりどころとしているので、
コロコロとめまぐるしく変わっていきます。
そのうち、どこに行ったのか解らなくなり、
なくしたのは自分のせいじゃない、誰かが悪い...。をやり始めます。
これをさせるのが運勢です。運の弱い人、強い人はなんでも他人のせいにし、
運の良い人は、全ては自分の責任として、保ち続ける努力をします。
これが運勢の違いです。どうでしょうか。
こうして見ると、幸せは常に自分のすぐ側にあり、
また、なんて脆(もろ)いものなのか。
このことに気づかないと、いつのまにか大事なものを無くしてしまいす。
逆に、このことに気づけば、満たされた人生を、生きることが出来ます。
与えられることよりも、与えることの価値。それを続けることの難しさ。
そして、与え続ける覚悟。難しいことですが、
人として生まれた一番の課題なのかもしれません。
ならば、覚悟を決めて、他人から見れば小さな幸せかもしれませんが、
そんなことは意に介さず、自分の人生を生きること。
これこそが、幸福の定義なのではないでしょうか。
頑張っている人へ
頑張りすぎると息が切れます。
張りすぎた弦は切れやすく、たるんだ弦では奏でることはできない。
自分の中に決めた方向があり、その方向に歩む限り大丈夫です。
息が切れないよう、時々たっぷりメンテナンスしながら進んで下さい。
私も切れかけて来ると、森山直太朗のさくらや、アンジェラアキの手紙を聞いて
積極的に泣き,溜まりかけた心の泥を落とします。
生きることは楽ではないけど、
本当に、いろいろな、沢山のものが感動を与えてくれます。
苦しいことだけに目を向けないで下さい。
安易に流れず、静かに、自分の決めた方向に歩むだけです。
張りすぎた弦は切れやすく、たるんだ弦では奏でることはできない。
自分の中に決めた方向があり、その方向に歩む限り大丈夫です。
息が切れないよう、時々たっぷりメンテナンスしながら進んで下さい。
私も切れかけて来ると、森山直太朗のさくらや、アンジェラアキの手紙を聞いて
積極的に泣き,溜まりかけた心の泥を落とします。
生きることは楽ではないけど、
本当に、いろいろな、沢山のものが感動を与えてくれます。
苦しいことだけに目を向けないで下さい。
安易に流れず、静かに、自分の決めた方向に歩むだけです。
誰でもそうなのですが、人は自分が他人から見れば、どんなに満たされていても、自分に足りない物を他人と比べて苦しむ生き物です。足りない物はひとそれぞれですね。親の愛情、お金、財産、上司からの受け、容貌、性格、友達の数、家庭、若さ、家系、兄弟、名誉、etc.....。
これが始まるとエンドレスの苦しみが始まります。これが、いろいろな場面で、苦しみの原因になり、自縄自縛の呪縛にはまっているかたを多く見かけます。自分が持っていない物を持っている(ように見える)人を妬む所から始まり、このことを手放せなければ、劣等感の種を育て、顔つきまで険しくなってきます。苦しいですね。
もし、そのような状況に、今いるとしたら、勇気をだして開き直ることです、先ず自分の長所が見えなくなっている。あって当たり前だと思っているので、自分の持っている良いことに感謝がない。自分を愛していない人は、結局、愛情が絡む問題が起きると、破綻しやすい。
自分を愛していない分、自暴自棄になりやすいのです。ちゃんと自分を愛すると言うことは、楽しければいいや、と言うのではなく、長い一生を油断無く自分を大切に生きると言うことです。パートナーを選ぶ時も、この視点から選ぶことが大事です。
見えなくなっている自分の長所を再発見するには、一番良いのは、誠実な友達がいるのならば、そのかたに、私のいいとこってどこ?とストレートに聞くのが最も早いですが、我々のような職業のの者に尋ねる方法もあります。
それでも、嫉妬の心が収まらなければ、相手の良い点を自分も一緒に喜ぶことです。
そして、なぜ、その人にそれがあり、自分にはそれが無いのかを考えることです。
私はそれが、因果の法則だと思っています。(インスタントカルマに書いた、運勢の差がでる理由ですね)その道理が理解できれば、自分以外の誰に対しても、めんどくさい感情は起きなくなり、自分自身の生き方をより良いものにするための歩みが始まります。
もしかしたら、この点に気づかせてくれるための、産みの苦しみが今自分の身に起きていることなのかもしれません。他人と自分を比べる必要はないし、自分を本当に大事にすることは、他人が持っているもの(人,物)をとってきて、自分にくっつけることではないのです。
かけがえの無い人生を大事にして下さい。
これが始まるとエンドレスの苦しみが始まります。これが、いろいろな場面で、苦しみの原因になり、自縄自縛の呪縛にはまっているかたを多く見かけます。自分が持っていない物を持っている(ように見える)人を妬む所から始まり、このことを手放せなければ、劣等感の種を育て、顔つきまで険しくなってきます。苦しいですね。
もし、そのような状況に、今いるとしたら、勇気をだして開き直ることです、先ず自分の長所が見えなくなっている。あって当たり前だと思っているので、自分の持っている良いことに感謝がない。自分を愛していない人は、結局、愛情が絡む問題が起きると、破綻しやすい。
自分を愛していない分、自暴自棄になりやすいのです。ちゃんと自分を愛すると言うことは、楽しければいいや、と言うのではなく、長い一生を油断無く自分を大切に生きると言うことです。パートナーを選ぶ時も、この視点から選ぶことが大事です。
見えなくなっている自分の長所を再発見するには、一番良いのは、誠実な友達がいるのならば、そのかたに、私のいいとこってどこ?とストレートに聞くのが最も早いですが、我々のような職業のの者に尋ねる方法もあります。
それでも、嫉妬の心が収まらなければ、相手の良い点を自分も一緒に喜ぶことです。
そして、なぜ、その人にそれがあり、自分にはそれが無いのかを考えることです。
私はそれが、因果の法則だと思っています。(インスタントカルマに書いた、運勢の差がでる理由ですね)その道理が理解できれば、自分以外の誰に対しても、めんどくさい感情は起きなくなり、自分自身の生き方をより良いものにするための歩みが始まります。
もしかしたら、この点に気づかせてくれるための、産みの苦しみが今自分の身に起きていることなのかもしれません。他人と自分を比べる必要はないし、自分を本当に大事にすることは、他人が持っているもの(人,物)をとってきて、自分にくっつけることではないのです。
かけがえの無い人生を大事にして下さい。







