意訳 自我偈
自我偈の意味を解りやすく知りたいと言うかたがありましたので私の解釈する自我偈の意訳を載せます。
文責は全て私にあり、研究者のかたのそれとは違う解釈もあります。願わくばこの意訳が多くの生者および、亡き人々の迷える魂に響き、苦海から逃れる切っ掛けが出来ますよう心から祈願しここに公開いたします。
意訳 自我偈
われわれ仏の悟りを得た行者が仏陀として教えを説き始めてから、
数限りない年月が流れた。
その間、数えきれない程の人々が教えを受け、仏となる道に導かれた。
今生に生まれた者には必ず死が訪れるように、私の肉体も滅びる。
これは誰もが否定し得ないこの世の法則である
しかし、仏としての存在は肉体を超えた形で存在し続け
常に求める人々に教えを説いている
特別な霊眼のある者にはその姿が見えるが
煩悩の濁塵(だくじん)に汚れた目の者には見ることができない
人々は私の死に出会い、私の残した骨や衣鉢を懐かしみ塔を作り供養する
人々の信仰心と信仰による行いが熟し、
心から私の姿を見ることを望むのならば、
霊鷲山で法を説いた時のように弟子とともに必ず姿を現そう。
仏に信を起こす者よ
仏は不滅であるがこの肉体は滅する物である、
しかし肉体が滅しても、仏は存在し続け、信を起こす者には、
住む場所を問わず、常に正しい教えを説きつづけている
このことを知らぬ衆生は、救いの方法がないと思い込み、
いまも輪廻の迷いの海に苦しんでいる
それゆえ、私は軽々しく姿を現さず、
人々がこの苦海に追われ、ここから逃れるため、
必死に仏を求めたとき、その真心に応じて姿を現し教えを説こうと思う
仏の力はこのように永遠で、必死に、真心から
輪廻の轍(わだち)から抜け出るための、
この仏法を求める者の前には必ず姿をあらわす。
人類の業が尽きた時、人々が培(つちか)った
あらゆる文明が火に焼かれ崩壊しようとも
仏国土と言われる仏の世界は常住で安定し満足し、欠けるものがない
煩悩に迷える者はこのとき業火に焼かれ、苦しみの絶頂に会う、
苦海を味わう者は、この悪業の報いで何世にも渡って
仏になる教えとは縁が生じない
発心をし、菩薩の誓願をたて、善行をなし、
心素直に仏の教えに耳を傾け、実践する者がいれば、
そこに、仏である私がいる
このような修行が結実し始めている者には仏の命は永遠だと説き、
信ずることすらグラツイている、いまだ修行の及ばない者には
仏には会い難いと説く
仏の知恵はこのように無限、無量でその寿命も尽きることがない
そして、この知恵は長い時間をかけた修行の結果得たもので、
私が特別だったから得られたものではない
知恵ある者よ ここで疑念を起こしてはいけない。
疑念は何度も起きて来るがその度に信のこころをもって疑念を晴らしなさい
仏の言葉は常に良く考えられ、必ず必要な結果が生じる
医者が狂った息子を治すために、方便を使い、
死んでもいない自分が死んだと息子に言い、彼を正気付かせ、薬を飲ませ、
治癒させたという話のごとく
仏もその医者と同じように方便を使って、生きとし生ける
あらゆる生きるものを救おうとする者である
普通の人々は、今しか救われる機会はないと言わなければ、
真剣に教えを聞こうとしない。
それゆえ、仏は常住だと言ったり、衆生と同じ人としての肉体を持っている
今しか救われる機会はないと言ったりするのである。
どんな時でも仏は救ってくれるんだと知ったとき、残念なことだが、
人は、よっぽど差し迫った苦しみが襲ってくるまでは、
此の世の楽しみを謳歌しようとし、仏法に見向きもしない
それゆえ、私は人々のそれぞれの機会(苦)に応じて法を説き
常に、それぞれにとって、この輪廻の苦しみから脱するための最善の方法は何か
どうすれば救済できるかを心より常に念じている。
以上
できるならば、音読して下さい。
それにより苦しみの原因である執着が、自分からも、敵からも消え、
それぞれに、生きとし生きるものを慈(いつく)しみ、どんな人でも、
「人として成長できるんだ、仏と言われるような完成した人格になれるんだ。」
という希望が魂の底から湧(わ)き上がってくることを、
こころより祈念いたします。
今野喜心
文責は全て私にあり、研究者のかたのそれとは違う解釈もあります。願わくばこの意訳が多くの生者および、亡き人々の迷える魂に響き、苦海から逃れる切っ掛けが出来ますよう心から祈願しここに公開いたします。
意訳 自我偈
われわれ仏の悟りを得た行者が仏陀として教えを説き始めてから、
数限りない年月が流れた。
その間、数えきれない程の人々が教えを受け、仏となる道に導かれた。
今生に生まれた者には必ず死が訪れるように、私の肉体も滅びる。
これは誰もが否定し得ないこの世の法則である
しかし、仏としての存在は肉体を超えた形で存在し続け
常に求める人々に教えを説いている
特別な霊眼のある者にはその姿が見えるが
煩悩の濁塵(だくじん)に汚れた目の者には見ることができない
人々は私の死に出会い、私の残した骨や衣鉢を懐かしみ塔を作り供養する
人々の信仰心と信仰による行いが熟し、
心から私の姿を見ることを望むのならば、
霊鷲山で法を説いた時のように弟子とともに必ず姿を現そう。
仏に信を起こす者よ
仏は不滅であるがこの肉体は滅する物である、
しかし肉体が滅しても、仏は存在し続け、信を起こす者には、
住む場所を問わず、常に正しい教えを説きつづけている
このことを知らぬ衆生は、救いの方法がないと思い込み、
いまも輪廻の迷いの海に苦しんでいる
それゆえ、私は軽々しく姿を現さず、
人々がこの苦海に追われ、ここから逃れるため、
必死に仏を求めたとき、その真心に応じて姿を現し教えを説こうと思う
仏の力はこのように永遠で、必死に、真心から
輪廻の轍(わだち)から抜け出るための、
この仏法を求める者の前には必ず姿をあらわす。
人類の業が尽きた時、人々が培(つちか)った
あらゆる文明が火に焼かれ崩壊しようとも
仏国土と言われる仏の世界は常住で安定し満足し、欠けるものがない
煩悩に迷える者はこのとき業火に焼かれ、苦しみの絶頂に会う、
苦海を味わう者は、この悪業の報いで何世にも渡って
仏になる教えとは縁が生じない
発心をし、菩薩の誓願をたて、善行をなし、
心素直に仏の教えに耳を傾け、実践する者がいれば、
そこに、仏である私がいる
このような修行が結実し始めている者には仏の命は永遠だと説き、
信ずることすらグラツイている、いまだ修行の及ばない者には
仏には会い難いと説く
仏の知恵はこのように無限、無量でその寿命も尽きることがない
そして、この知恵は長い時間をかけた修行の結果得たもので、
私が特別だったから得られたものではない
知恵ある者よ ここで疑念を起こしてはいけない。
疑念は何度も起きて来るがその度に信のこころをもって疑念を晴らしなさい
仏の言葉は常に良く考えられ、必ず必要な結果が生じる
医者が狂った息子を治すために、方便を使い、
死んでもいない自分が死んだと息子に言い、彼を正気付かせ、薬を飲ませ、
治癒させたという話のごとく
仏もその医者と同じように方便を使って、生きとし生ける
あらゆる生きるものを救おうとする者である
普通の人々は、今しか救われる機会はないと言わなければ、
真剣に教えを聞こうとしない。
それゆえ、仏は常住だと言ったり、衆生と同じ人としての肉体を持っている
今しか救われる機会はないと言ったりするのである。
どんな時でも仏は救ってくれるんだと知ったとき、残念なことだが、
人は、よっぽど差し迫った苦しみが襲ってくるまでは、
此の世の楽しみを謳歌しようとし、仏法に見向きもしない
それゆえ、私は人々のそれぞれの機会(苦)に応じて法を説き
常に、それぞれにとって、この輪廻の苦しみから脱するための最善の方法は何か
どうすれば救済できるかを心より常に念じている。
以上
できるならば、音読して下さい。
それにより苦しみの原因である執着が、自分からも、敵からも消え、
それぞれに、生きとし生きるものを慈(いつく)しみ、どんな人でも、
「人として成長できるんだ、仏と言われるような完成した人格になれるんだ。」
という希望が魂の底から湧(わ)き上がってくることを、
こころより祈念いたします。
今野喜心
人として、いのちの尊さ
ここ数日「自分には価値がない、生きていてもしょうがない...。」という相談を
続けて受けています。苦しいですね。
共通して言えるのは疎外感と自責の念です。
そして、いつの間にか、他人から見られている自分が本当の自分のように
錯覚してしまっていることです。
本当の自分が見えなくなっている。
夢もあり、したいことは、多くはないけれど、ちゃんとあったのに、
いつのまにか諦めて、その場にうずくまっている。
自分の本音を誰にもはなせないし、
他人にはこの苦しさが解る訳がないと決めつけてしまっている。
心の毒を抜くには一つには汗をかくこと、岩盤浴でも風呂でも、
デトックスと言われるものに騙されたとおもって行って下さい。
心と身体はリンクしています。
もう一つは、あなたのことを決して否定しない人に
心の底をぶちまけることです、我々のようなプロにもピンキリがありますから、
信用できそうな先生を選んで相談して下さい。
また、「日本いのちの電話連盟」がほとんどの都道府県にあります。
どうしようもなく行き詰まった時は検索して下さい。
いのちの電話
いのちの尊さって何でしょうか?
易の考え方の中に、天人合一と言う考え方があります。
これは宇宙と生きとし生きる物は同一で、
人は宇宙の相似形であるという考えです。
自然に春夏秋冬があるように、人にも四季があり、
ゆずり葉が命を次の葉に託すように、人は子供に命を託し、
四季のリズムの中に生まれ、育ち、老い、死期を迎える。この繰り返しです。
我々の命も、見たことも聞いたこともないような人達から託されて、
ここにある。それに気づかないだけで決して独りぼっちではない。
昔、金魚鉢の金魚は金魚鉢の中だけが全てで
喜怒哀楽すべてが金魚鉢の中で起きていると言っていた人がいました。
その通りなのですが、でも、他のうつわで生きることは可能なのです。
もっと広い、快適な場所でも生きられるのです。
そして金魚には自分の居場所を変える自由はないが、
人間にはこの自由があるのです。
だから人の命は尊いのです。しかし人は弱って来ると、
この自由を使うことを放棄し始めます。
そのくらい自由であることを生かすにはエネルギーが必要で、
このことを知らないから個々の持って生まれた運勢に
そのまま支配されてしまいやすい。
そして、この人に与えられた自由をどう使うかが、
人としてこの世に生まれた大きな課題の一つなのです。
生きることを自ら放棄すれば、
さらに苦しい所から同じことを課題として生まれてきます。
人は生まれるとき、ほとんどの人が過去の記憶をなくして生まれてきます。
それゆえ、なんでこんなに自分は苦しまなければならないの?と問い続けますが、
前世療法や退行催眠で記憶が蘇り納得したと言う話が出版されていますね。
因果の法則からは逃げようがなく、善用すればこれほど確かなことはありません。
積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。
(善を積んだ家には必ず喜びごとがあり、不善を積んだ家には必ず報いがある)
易経にある言葉です。
価値のない人なんて世の中にはいません。
そこに存在するだけで人には価値があります。
人によっては、自由の扉は重く、動くまで沢山の労力が必要かもしれません。
でも先ず、うずくまっている所から顔をあげ怖くても前を見、
ゆっくり立ち上がる所から初めて下さい。
続けて受けています。苦しいですね。
共通して言えるのは疎外感と自責の念です。
そして、いつの間にか、他人から見られている自分が本当の自分のように
錯覚してしまっていることです。
本当の自分が見えなくなっている。
夢もあり、したいことは、多くはないけれど、ちゃんとあったのに、
いつのまにか諦めて、その場にうずくまっている。
自分の本音を誰にもはなせないし、
他人にはこの苦しさが解る訳がないと決めつけてしまっている。
心の毒を抜くには一つには汗をかくこと、岩盤浴でも風呂でも、
デトックスと言われるものに騙されたとおもって行って下さい。
心と身体はリンクしています。
もう一つは、あなたのことを決して否定しない人に
心の底をぶちまけることです、我々のようなプロにもピンキリがありますから、
信用できそうな先生を選んで相談して下さい。
また、「日本いのちの電話連盟」がほとんどの都道府県にあります。
どうしようもなく行き詰まった時は検索して下さい。
いのちの電話
いのちの尊さって何でしょうか?
易の考え方の中に、天人合一と言う考え方があります。
これは宇宙と生きとし生きる物は同一で、
人は宇宙の相似形であるという考えです。
自然に春夏秋冬があるように、人にも四季があり、
ゆずり葉が命を次の葉に託すように、人は子供に命を託し、
四季のリズムの中に生まれ、育ち、老い、死期を迎える。この繰り返しです。
我々の命も、見たことも聞いたこともないような人達から託されて、
ここにある。それに気づかないだけで決して独りぼっちではない。
昔、金魚鉢の金魚は金魚鉢の中だけが全てで
喜怒哀楽すべてが金魚鉢の中で起きていると言っていた人がいました。
その通りなのですが、でも、他のうつわで生きることは可能なのです。
もっと広い、快適な場所でも生きられるのです。
そして金魚には自分の居場所を変える自由はないが、
人間にはこの自由があるのです。
だから人の命は尊いのです。しかし人は弱って来ると、
この自由を使うことを放棄し始めます。
そのくらい自由であることを生かすにはエネルギーが必要で、
このことを知らないから個々の持って生まれた運勢に
そのまま支配されてしまいやすい。
そして、この人に与えられた自由をどう使うかが、
人としてこの世に生まれた大きな課題の一つなのです。
生きることを自ら放棄すれば、
さらに苦しい所から同じことを課題として生まれてきます。
人は生まれるとき、ほとんどの人が過去の記憶をなくして生まれてきます。
それゆえ、なんでこんなに自分は苦しまなければならないの?と問い続けますが、
前世療法や退行催眠で記憶が蘇り納得したと言う話が出版されていますね。
因果の法則からは逃げようがなく、善用すればこれほど確かなことはありません。
積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。
(善を積んだ家には必ず喜びごとがあり、不善を積んだ家には必ず報いがある)
易経にある言葉です。
価値のない人なんて世の中にはいません。
そこに存在するだけで人には価値があります。
人によっては、自由の扉は重く、動くまで沢山の労力が必要かもしれません。
でも先ず、うずくまっている所から顔をあげ怖くても前を見、
ゆっくり立ち上がる所から初めて下さい。
幸せの定義
幸せな人生の定義ってなんでしょうか?
人それぞれですが、私は、生まれ持った運勢がどうであれ
その人が誰か(何か)のために、見返りを気にせずに、大事にしたい。
そうゆう気持ちを、いつも持ち続けられることが幸せな人生だと思います。
その対象は友達、恋人、家族、仕事、職場、趣味、なんであれ、
心が、そのもの(ひと)のために優しくなり、
そこにいることが充実しているような、
込み上げて来る感情を起こす何か(誰か)と出会えることが、
人生における幸福なのだと思います。
「なにかに捧げる愛」「無償の愛」だと言ってもいいかもしれません。
でも、この感情は物ではなく心をよりどころとしているので、
コロコロとめまぐるしく変わっていきます。
そのうち、どこに行ったのか解らなくなり、
なくしたのは自分のせいじゃない、誰かが悪い...。をやり始めます。
これをさせるのが運勢です。運の弱い人、強い人はなんでも他人のせいにし、
運の良い人は、全ては自分の責任として、保ち続ける努力をします。
これが運勢の違いです。どうでしょうか。
こうして見ると、幸せは常に自分のすぐ側にあり、
また、なんて脆(もろ)いものなのか。
このことに気づかないと、いつのまにか大事なものを無くしてしまいす。
逆に、このことに気づけば、満たされた人生を、生きることが出来ます。
与えられることよりも、与えることの価値。それを続けることの難しさ。
そして、与え続ける覚悟。難しいことですが、
人として生まれた一番の課題なのかもしれません。
ならば、覚悟を決めて、他人から見れば小さな幸せかもしれませんが、
そんなことは意に介さず、自分の人生を生きること。
これこそが、幸福の定義なのではないでしょうか。
人それぞれですが、私は、生まれ持った運勢がどうであれ
その人が誰か(何か)のために、見返りを気にせずに、大事にしたい。
そうゆう気持ちを、いつも持ち続けられることが幸せな人生だと思います。
その対象は友達、恋人、家族、仕事、職場、趣味、なんであれ、
心が、そのもの(ひと)のために優しくなり、
そこにいることが充実しているような、
込み上げて来る感情を起こす何か(誰か)と出会えることが、
人生における幸福なのだと思います。
「なにかに捧げる愛」「無償の愛」だと言ってもいいかもしれません。
でも、この感情は物ではなく心をよりどころとしているので、
コロコロとめまぐるしく変わっていきます。
そのうち、どこに行ったのか解らなくなり、
なくしたのは自分のせいじゃない、誰かが悪い...。をやり始めます。
これをさせるのが運勢です。運の弱い人、強い人はなんでも他人のせいにし、
運の良い人は、全ては自分の責任として、保ち続ける努力をします。
これが運勢の違いです。どうでしょうか。
こうして見ると、幸せは常に自分のすぐ側にあり、
また、なんて脆(もろ)いものなのか。
このことに気づかないと、いつのまにか大事なものを無くしてしまいす。
逆に、このことに気づけば、満たされた人生を、生きることが出来ます。
与えられることよりも、与えることの価値。それを続けることの難しさ。
そして、与え続ける覚悟。難しいことですが、
人として生まれた一番の課題なのかもしれません。
ならば、覚悟を決めて、他人から見れば小さな幸せかもしれませんが、
そんなことは意に介さず、自分の人生を生きること。
これこそが、幸福の定義なのではないでしょうか。
頑張っている人へ
頑張りすぎると息が切れます。
張りすぎた弦は切れやすく、たるんだ弦では奏でることはできない。
自分の中に決めた方向があり、その方向に歩む限り大丈夫です。
息が切れないよう、時々たっぷりメンテナンスしながら進んで下さい。
私も切れかけて来ると、森山直太朗のさくらや、アンジェラアキの手紙を聞いて
積極的に泣き,溜まりかけた心の泥を落とします。
生きることは楽ではないけど、
本当に、いろいろな、沢山のものが感動を与えてくれます。
苦しいことだけに目を向けないで下さい。
安易に流れず、静かに、自分の決めた方向に歩むだけです。
張りすぎた弦は切れやすく、たるんだ弦では奏でることはできない。
自分の中に決めた方向があり、その方向に歩む限り大丈夫です。
息が切れないよう、時々たっぷりメンテナンスしながら進んで下さい。
私も切れかけて来ると、森山直太朗のさくらや、アンジェラアキの手紙を聞いて
積極的に泣き,溜まりかけた心の泥を落とします。
生きることは楽ではないけど、
本当に、いろいろな、沢山のものが感動を与えてくれます。
苦しいことだけに目を向けないで下さい。
安易に流れず、静かに、自分の決めた方向に歩むだけです。
誰でもそうなのですが、人は自分が他人から見れば、どんなに満たされていても、自分に足りない物を他人と比べて苦しむ生き物です。足りない物はひとそれぞれですね。親の愛情、お金、財産、上司からの受け、容貌、性格、友達の数、家庭、若さ、家系、兄弟、名誉、etc.....。
これが始まるとエンドレスの苦しみが始まります。これが、いろいろな場面で、苦しみの原因になり、自縄自縛の呪縛にはまっているかたを多く見かけます。自分が持っていない物を持っている(ように見える)人を妬む所から始まり、このことを手放せなければ、劣等感の種を育て、顔つきまで険しくなってきます。苦しいですね。
もし、そのような状況に、今いるとしたら、勇気をだして開き直ることです、先ず自分の長所が見えなくなっている。あって当たり前だと思っているので、自分の持っている良いことに感謝がない。自分を愛していない人は、結局、愛情が絡む問題が起きると、破綻しやすい。
自分を愛していない分、自暴自棄になりやすいのです。ちゃんと自分を愛すると言うことは、楽しければいいや、と言うのではなく、長い一生を油断無く自分を大切に生きると言うことです。パートナーを選ぶ時も、この視点から選ぶことが大事です。
見えなくなっている自分の長所を再発見するには、一番良いのは、誠実な友達がいるのならば、そのかたに、私のいいとこってどこ?とストレートに聞くのが最も早いですが、我々のような職業のの者に尋ねる方法もあります。
それでも、嫉妬の心が収まらなければ、相手の良い点を自分も一緒に喜ぶことです。
そして、なぜ、その人にそれがあり、自分にはそれが無いのかを考えることです。
私はそれが、因果の法則だと思っています。(インスタントカルマに書いた、運勢の差がでる理由ですね)その道理が理解できれば、自分以外の誰に対しても、めんどくさい感情は起きなくなり、自分自身の生き方をより良いものにするための歩みが始まります。
もしかしたら、この点に気づかせてくれるための、産みの苦しみが今自分の身に起きていることなのかもしれません。他人と自分を比べる必要はないし、自分を本当に大事にすることは、他人が持っているもの(人,物)をとってきて、自分にくっつけることではないのです。
かけがえの無い人生を大事にして下さい。
これが始まるとエンドレスの苦しみが始まります。これが、いろいろな場面で、苦しみの原因になり、自縄自縛の呪縛にはまっているかたを多く見かけます。自分が持っていない物を持っている(ように見える)人を妬む所から始まり、このことを手放せなければ、劣等感の種を育て、顔つきまで険しくなってきます。苦しいですね。
もし、そのような状況に、今いるとしたら、勇気をだして開き直ることです、先ず自分の長所が見えなくなっている。あって当たり前だと思っているので、自分の持っている良いことに感謝がない。自分を愛していない人は、結局、愛情が絡む問題が起きると、破綻しやすい。
自分を愛していない分、自暴自棄になりやすいのです。ちゃんと自分を愛すると言うことは、楽しければいいや、と言うのではなく、長い一生を油断無く自分を大切に生きると言うことです。パートナーを選ぶ時も、この視点から選ぶことが大事です。
見えなくなっている自分の長所を再発見するには、一番良いのは、誠実な友達がいるのならば、そのかたに、私のいいとこってどこ?とストレートに聞くのが最も早いですが、我々のような職業のの者に尋ねる方法もあります。
それでも、嫉妬の心が収まらなければ、相手の良い点を自分も一緒に喜ぶことです。
そして、なぜ、その人にそれがあり、自分にはそれが無いのかを考えることです。
私はそれが、因果の法則だと思っています。(インスタントカルマに書いた、運勢の差がでる理由ですね)その道理が理解できれば、自分以外の誰に対しても、めんどくさい感情は起きなくなり、自分自身の生き方をより良いものにするための歩みが始まります。
もしかしたら、この点に気づかせてくれるための、産みの苦しみが今自分の身に起きていることなのかもしれません。他人と自分を比べる必要はないし、自分を本当に大事にすることは、他人が持っているもの(人,物)をとってきて、自分にくっつけることではないのです。
かけがえの無い人生を大事にして下さい。
運命の赤い糸
人とのご縁というものはとても神秘的なものです。特に結婚や恋人になるには、それ相応のご縁がある方達としか考えられない人と出会っていることが多いですね。だから「運命の赤い糸」は本当にあるのだと私も思います。でも、もし、自分の赤い糸が、とんでもない相手と繋がっているとしたら、悲劇的なのではないでしょうか。これもまた事実です。
このことに気づき、受け入れるべき運命なんだ思うことができれば、相手と一生懸命より良くなるよう努力できるようになります。受け入れられず、他に運命の人がいるはずだと、その場から逃げることができれば次の運命の人が現れます。でも、自分の運命が変わらなければ同じことの繰り返しです。
「運命の糸」は波長(波動)の合うものとしか繋がらない特徴があり、自分の波長が高まれば、そのようなかたと縁が生じるのですが、せっかく、そうゆうかたと出会えても、こちらの波長が落ちれば一緒にいられなくなります。喧嘩と無言無視が始まります。
じゃあ、どうすれば良いのか?波長を維持する努力をすることです。運勢には逆らえない。という人がよくいますが、人の努力と、運勢の力はだいたい五分と五分だと私は思っています。ただし、50年生きてきて49年好き勝手をやり、1年くらい努力をしても、そこには49対1の歴然とした力の差がありますが、しかし、その1年でまったく人間を変えることが出来るくらい努力ができれば徐々に周りの目は変わってきます。
努力を継続し続けることで、過去の自分を浄化していきます。そして10年ほどで今までとはまったく違った幸福と評価がえられます。このことに気づくことが早ければ早いほど喜びの多い人生になっていきます。
運命の赤い糸。それを知れば、結び目をホドクことも、他の人と結び直すことも出来る物です。幸せになって下さい。
努力をしなくても良いのが運命通りの生き方だし、運勢もそのように誘惑してきます。テレビを見ている方が楽だし、感情に乗ってしまう方が当たり前の自分です。これが普通の生き方です。でも、もう少し運勢には幅が会って、変えることも出来るんだと解れば、また別の希望が湧いてくるのではないでしょうか。
このことに気づき、受け入れるべき運命なんだ思うことができれば、相手と一生懸命より良くなるよう努力できるようになります。受け入れられず、他に運命の人がいるはずだと、その場から逃げることができれば次の運命の人が現れます。でも、自分の運命が変わらなければ同じことの繰り返しです。
「運命の糸」は波長(波動)の合うものとしか繋がらない特徴があり、自分の波長が高まれば、そのようなかたと縁が生じるのですが、せっかく、そうゆうかたと出会えても、こちらの波長が落ちれば一緒にいられなくなります。喧嘩と無言無視が始まります。
じゃあ、どうすれば良いのか?波長を維持する努力をすることです。運勢には逆らえない。という人がよくいますが、人の努力と、運勢の力はだいたい五分と五分だと私は思っています。ただし、50年生きてきて49年好き勝手をやり、1年くらい努力をしても、そこには49対1の歴然とした力の差がありますが、しかし、その1年でまったく人間を変えることが出来るくらい努力ができれば徐々に周りの目は変わってきます。
努力を継続し続けることで、過去の自分を浄化していきます。そして10年ほどで今までとはまったく違った幸福と評価がえられます。このことに気づくことが早ければ早いほど喜びの多い人生になっていきます。
運命の赤い糸。それを知れば、結び目をホドクことも、他の人と結び直すことも出来る物です。幸せになって下さい。
努力をしなくても良いのが運命通りの生き方だし、運勢もそのように誘惑してきます。テレビを見ている方が楽だし、感情に乗ってしまう方が当たり前の自分です。これが普通の生き方です。でも、もう少し運勢には幅が会って、変えることも出来るんだと解れば、また別の希望が湧いてくるのではないでしょうか。
![]() | 豊かに成功するホ・オポノポノ 愛と感謝のパワーがもたらすビジネスの大転換 (2009/04/24) イハレアカラ・ヒューレン河合 政実 商品詳細を見る |
表題にはビジネスの大転換とありますが、人としての成功する方法が前作より具体的に書かれています。
「ハワイの古代よりの知恵」と私が学んだ、「運命を動かすための推命」の知識との間にいくつか共通項あります。面白いものですね。
軋轢なく生を全うするために、果てしない時を経て生まれた知恵です。時の流れを感じながら読むといいかもしれませんね。三世リーデイングそのものが書かれています。
本当に当たり前なのに、なかなか、できないこと。
春は残酷な季節と詩人は言いましたが、昨日散歩をしていて、この詩の冒頭の言葉を思い出しました。詩の内容とはまったく違うのですが、道すがら、すれ違った女性の、表情の暗さに彼女の、孤独と、喪失感と絶望がこみ上げて来るのです。無表情の顔の奥に一度も浄化した事のない堆積物がまざまざと見えてしまう。最初は自分をいじめる事で悲しみを紛らわし、それが習い性になった時、こころを閉じ、外界と自分を遮断し、自分の居場所を確保する。本人は疎外されていると言うかもしれませんが、実は自分が周りを疎外し、自分だけの世界で生きる事を選択してしまっている。これは、大きな矛盾です。社会、組織の中での人間関係で生きずまっている人にも見られる現象です。自分を開けば、必ずぶつかるものです、しかし、これを避ければ自分の世界に籠るしかない。人は、ぶつかり、対立し、和解する事で成長できるのですが、これの繰り返しが人生です。それゆえ、人にとって一番大事な事は勇気を持つ事です。
「それ違うと思うよ。」「ごめんなさい、自分が間違っていた。」「一緒にご飯しない。」「お茶入れるけど、あなたものむ?」等々。一度断られたぐらいで諦めず、適当に使い続ける事が大事です。
大げさな言葉ではなく、挨拶程度のことばですが、日常では、とても大事なコミュニケーションです。そして、こんなに当たり前な、ちょっとした事が人生を円滑にします。逆にこれをやっていないと孤独感に苛まれ始めます。試してみる価値はあると思います。ちょっとした勇気を奮い立たせてやってみて下さい。親子関係、男女関係、あらゆる人間関係に使えるものです。
「それ違うと思うよ。」「ごめんなさい、自分が間違っていた。」「一緒にご飯しない。」「お茶入れるけど、あなたものむ?」等々。一度断られたぐらいで諦めず、適当に使い続ける事が大事です。
大げさな言葉ではなく、挨拶程度のことばですが、日常では、とても大事なコミュニケーションです。そして、こんなに当たり前な、ちょっとした事が人生を円滑にします。逆にこれをやっていないと孤独感に苛まれ始めます。試してみる価値はあると思います。ちょっとした勇気を奮い立たせてやってみて下さい。親子関係、男女関係、あらゆる人間関係に使えるものです。
オポノポノ
![]() | ハワイに伝わる癒しの秘法 みんなが幸せになるホ・オポノポノ 神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方 (2008/09/30) イハレアカラ・ヒューレン 商品詳細を見る 良い本です。お勧めいたします。 |
前回紹介して以来、沢山の方から、感想をいただいております。本気で、真剣に取り組んだ方には、大きなドラマが起きています。
読む価値のある本だと思います。
インスタントカルマ
先日、久しぶりに本屋に行ったら、精神世界のコーナーに、呪符、まじない本、魔術の類い、願望成就ものが、めちゃくちゃ多くなっている事に驚きました。あぶないなー。
不況のせいで、先行きの不安が、とにかく目の前にある欲しいものは逃したくないという、焦りの気持ちが今の日本に蔓延しているからだと思います。昔から、出版業界は、売れる本しか出版しません。物凄い需要があるのだと思います。
符呪(まじない)に関して言えば、まず、符呪を行じる者の力が何より重要になります。神仏の加持力と行者の加持力が一つに成って結果を表すのですが、例えば、恋愛の障りになっているものが、依頼者の業だとすると、行者はその業の少なくても半分は背負って、依頼者の業を軽くし、神仏の力を祈願者におろし、願いが叶うようにするのです。どのレベルの神様を降ろせるかが行者の力の目安になります。
自分で符呪を行うとどうなるかですが、そもそも、欲しいものが手に入らない渇愛に満ちた真っ黒な心で呪符を書けば、その呪符は黒い心のよりどころと成ります。
黒業の種になり、神仏ではなく、その人の念に引き寄せられた、同じような想念が大好きな霊がその人を支配しようとします。魔術にしても、その道のプロ以外は大抵はコックリさんの延長です。本当に危ない。もし、身に覚えがあり、体調不良、神経障害の症状が出ている人がいるのならば、本山クラスの修験か、天台、真言、日蓮宗の、ちゃんと行を積んでいるお坊さんに相談して下さい。または、その本の著者に直接相談する事です。
インスタントの幸せには、リスクがつきものです。幸福を望むのに、幸せをつかむんだと言う向上心は不可欠ですが、そのために何をすればいいのかを、もっと合理的に考える事が必要です。幸福は、運転免許の試験と同じで、ある程度の点数をとれば、必ず得られるものです。違うのは、ひとりひとり、個別の解答用紙と問題が用意され、かなり長い、試験時間が設定されている点です。たとえば、25歳までに、その後の人生に何が起きても盤石な世の人に貢献できる技術、資格を取る事。ある人には30歳までに,誰もが憧れる情熱的な恋愛ではなく、見栄えや、地位やお金ではない、一生側にいて、貴女を見守ってくれる主人を見つける事。ある人にとっては、親の残してくれたものを好き勝手に使うのではなく、ちゃんと次の世代に残す事等々。
すべての課題で、忍耐が求められ、本人の生きる目標の有無が問われ、ここぞのがんばりを試されます。それをクリアーできると。生活が安定し、伴侶ができ、子供が生まれます。そうすると、今度は、伴侶と子供の事で、同じように試されます。人生は、この繰り返しです。課題がクリアーできた分、生まれ変わったとき、より楽な環境と才能をもった人生が始まります。クリアーできなかった分はまた今生の課題として、そこにあり続けます。そこから逃げれば、逃げた分ペナルテイーがついて、グレードアップした課題がやってきます。これが、現世の本当の姿だと私は思っています。運勢に差がある理由です。だから、自分はなんて運が悪いんだ、なんで自分だけが.....と他人と自分を比較しても、まったく意味が無いのです。それより、なにより自分の課題を果たす事が、最重大事なのです。
課題からは逃げられない。これが娑婆(シャバ)ノ掟です。それならばと、「よーし、クリアしてやる。」と積極的に課題を果たす事を心がければ、わりと、明るく楽しい人生を送れるのではないでしょうか。変なものに頼らず、逃げずに真っすぐ自分を見つめ続ける事です。この事を意識している人は少ないですが、あらゆる生きとし生けるものが、この「それぞれの課題」と対峙して生きています。この現世のからくりが判れば、他人を羨む事も、誹謗することも無くなると思います。あなた一人だけが業を背負って生きている訳ではないからです。皆、この世に生まれ、また死んでいく仲間です。少しだけこの事を意識してみて下さい。本当の意味で魂の浄化が始まります。
不況のせいで、先行きの不安が、とにかく目の前にある欲しいものは逃したくないという、焦りの気持ちが今の日本に蔓延しているからだと思います。昔から、出版業界は、売れる本しか出版しません。物凄い需要があるのだと思います。
符呪(まじない)に関して言えば、まず、符呪を行じる者の力が何より重要になります。神仏の加持力と行者の加持力が一つに成って結果を表すのですが、例えば、恋愛の障りになっているものが、依頼者の業だとすると、行者はその業の少なくても半分は背負って、依頼者の業を軽くし、神仏の力を祈願者におろし、願いが叶うようにするのです。どのレベルの神様を降ろせるかが行者の力の目安になります。
自分で符呪を行うとどうなるかですが、そもそも、欲しいものが手に入らない渇愛に満ちた真っ黒な心で呪符を書けば、その呪符は黒い心のよりどころと成ります。
黒業の種になり、神仏ではなく、その人の念に引き寄せられた、同じような想念が大好きな霊がその人を支配しようとします。魔術にしても、その道のプロ以外は大抵はコックリさんの延長です。本当に危ない。もし、身に覚えがあり、体調不良、神経障害の症状が出ている人がいるのならば、本山クラスの修験か、天台、真言、日蓮宗の、ちゃんと行を積んでいるお坊さんに相談して下さい。または、その本の著者に直接相談する事です。
インスタントの幸せには、リスクがつきものです。幸福を望むのに、幸せをつかむんだと言う向上心は不可欠ですが、そのために何をすればいいのかを、もっと合理的に考える事が必要です。幸福は、運転免許の試験と同じで、ある程度の点数をとれば、必ず得られるものです。違うのは、ひとりひとり、個別の解答用紙と問題が用意され、かなり長い、試験時間が設定されている点です。たとえば、25歳までに、その後の人生に何が起きても盤石な世の人に貢献できる技術、資格を取る事。ある人には30歳までに,誰もが憧れる情熱的な恋愛ではなく、見栄えや、地位やお金ではない、一生側にいて、貴女を見守ってくれる主人を見つける事。ある人にとっては、親の残してくれたものを好き勝手に使うのではなく、ちゃんと次の世代に残す事等々。
すべての課題で、忍耐が求められ、本人の生きる目標の有無が問われ、ここぞのがんばりを試されます。それをクリアーできると。生活が安定し、伴侶ができ、子供が生まれます。そうすると、今度は、伴侶と子供の事で、同じように試されます。人生は、この繰り返しです。課題がクリアーできた分、生まれ変わったとき、より楽な環境と才能をもった人生が始まります。クリアーできなかった分はまた今生の課題として、そこにあり続けます。そこから逃げれば、逃げた分ペナルテイーがついて、グレードアップした課題がやってきます。これが、現世の本当の姿だと私は思っています。運勢に差がある理由です。だから、自分はなんて運が悪いんだ、なんで自分だけが.....と他人と自分を比較しても、まったく意味が無いのです。それより、なにより自分の課題を果たす事が、最重大事なのです。
課題からは逃げられない。これが娑婆(シャバ)ノ掟です。それならばと、「よーし、クリアしてやる。」と積極的に課題を果たす事を心がければ、わりと、明るく楽しい人生を送れるのではないでしょうか。変なものに頼らず、逃げずに真っすぐ自分を見つめ続ける事です。この事を意識している人は少ないですが、あらゆる生きとし生けるものが、この「それぞれの課題」と対峙して生きています。この現世のからくりが判れば、他人を羨む事も、誹謗することも無くなると思います。あなた一人だけが業を背負って生きている訳ではないからです。皆、この世に生まれ、また死んでいく仲間です。少しだけこの事を意識してみて下さい。本当の意味で魂の浄化が始まります。









